2等の初乗り運賃は昭和41年3月の運賃改定により5kmまで20円(2等の基準賃率3円65銭)となり、最終額面の乗車券類で綺麗に残っている。30kmまで下車前途無効となり、当時の広島印刷場では途中下車のできない乗車券はB型で、それ以外の乗車券と往復乗車券はA型で調製されていた。宇品線内の常備乗車券は東京都区内ゆきが再遠だったようである。
殆どの需要は広島駅からであったと思われるが、急行券は発駅補充で調製されている。
ローカル線区にありがちなD型準常備式の特急券と寝台券。
これは常備特急券。2等1000円の特急料金は、601km以上1200km以下に相当するため、対東京方面で使われていた可能性が高い。
一部の地域での試行を経て、昭和41年3月の運賃改定時に、補片・補往の様式がこれまでのD型硬券から現在の軟券に全面的に切り替わっている。当初は何故か補片裏面の注意書きに優等の1等用と同じく、2等用でも英語表記が併記されている。
軟券の廃札には全て不正防止のため、無効印が押されている。
いずれも発駅印刷の補充定期。当時の通勤定期に特徴的なのは、12ヶ月用が存在した。初乗り運賃が10円から20円と一気に2倍に跳ね上がってしまったため、激変緩和措置として昭和41年3月から設定されたが短命に終わっている。戦前では通用12ヶ月の定期は珍しくはないが、戦後の国鉄では珍しく唯一のもの。